東池袋大勝軒 本店 東京・池袋東口







青空から春めく陽射しが注いでいて、すでに桜の花がはらはらと散り始める桜の木も見受けられた、そんな四月卯月上旬の休日木曜日だった。

昨日帰宅してから何気なくPCモニターを見ていると、つけめんの神様とも称される東池袋大勝軒創業店主の山岸一雄氏が、なんと悲しくも天国に召されてしまったことを知り只々もう驚くしかなかった。

4月1日の昨日残念にも心不全により、なんと他界されてしまったようだ。享年80歳だそうで、思わず親父と同じ歳で亡くなったことに気づかされた。

以前にも触れているように、つけ麺の歴史を語る上で、必ず登場して来る方こそ山岸一雄氏だ。五人の長野の蕎麦職人の共同経営によって、昭和22年に開業した荻窪丸長がその話しの発端となる。

その一人の坂口正安氏が昭和25年に同グループの栄楽へ勤めていた折り、上京して当時旋盤工をしていた従兄弟の山岸一雄氏をそこへ誘った。その翌年の昭和26年そこから独立して、中野大勝軒を開業させたそう。

そして坂口氏は昭和30年に代々木上原大勝軒を開業させ、中野店を支店にして山岸氏に任せるようになった。その頃つけ麺である特製もりそばが、山岸氏によりそこでメニューに並ぶようになったわけだ。

昭和36年にはその山岸氏も暖簾分けで東池袋大勝軒を開業させて、現在ではその系統を明瞭にする大勝軒のれん会を発足させている。

昨年のちょうど今頃にも、佐野実氏が多臓器不全により他界してしまい、そして周富徳氏も肺炎が原因で相次いで巨星が他界されてしまったことが思い出されるものだ。

東池袋大勝軒を運営する株式会社大勝軒は、現在二代目店主である飯野敏彦氏に引き継がれ営業している。

可能であれば、是非ともそんな飯野店主にお悔やみの言葉を申し上げたい。ふとそんな想いが浮かんで、本日は休日だけにそれならばとなって総本家・東池袋大勝軒を訪れることにした。

一昨年そんな山岸マスターの映画「ラーメンより大切なもの 東池袋大勝軒50年の秘密」が上映された時に訪れて以来だが、まさかそんな理由でこちらを訪ねることになるとは夢にも思わなかった。

そんなわけで桜の花が満開を迎えた時季、春めくそよ風がそよぐものの御大の死に悲しみが堪えない中、秋葉原で乗り換え山手線を利用し少し久しぶりの池袋駅東口へ降り立った。

ランチタイム時に店頭へ到着すると、昨日のニュースの翌日の昼時もあって、何台かのTVカメラが店先に向けられ報道スタッフが何人も居るそんな状況だった。

私のようにニュースで山岸マスターの悲しい他界を知り、それで駆け付けてた来た方が少なくなく店頭は実にごったがえしていた。見ると報道陣の対応は、飯野店主が自ら行っておられた。

いつもは行列が都電路線方面に行列が作られるこちらだが、それで入店を待っていると池袋駅方面の反対側に本列が伸びてしまった。

やむなくそちら側に移動するとそれに気づいた飯野店主が、並ぶ向きを180度変えさせいつもの店頭に戻っていた。そんな折りに目の前に飯野店主がおられたので、お悔やみの言葉を申し上げることが出来た。神妙で丁寧なご返事の言葉が返って来た。

しばし待っていると行列が詰まって行き、入口左手奥の券売機の前に。そこで少しだけ悩んだ後で、ゆで玉子入りもりそばのゆでもりを選択。そしてふと目についた、餃子3コ入りのボタンも連打した。

その後そう待たない内に入口辺りの厨房前カウンター席に促されて、程なくゆでもりがやって来た。

それではと行かせて貰えば、思わず心の中に山岸マスターが現れてホロリとなりながらも、山岸マスターがどれだけ人を幸せにして来たか実感出来るもりそばとなった。

近年こちらの公式サイトに、直営店舗が紹介されるようになって、それらの店舗が判るようになって来ている。1995年オープンの滝野川大勝軒は、その直営店舗であることはよく知られているが、先月の20日から池麺KINGKONG跡地に移転オープンしている。

2010年8月28日にオープンした本家直営店の池麺キングコングだったが、今年の2月28日を以て閉店してしまった。2003年9月10日にオープンした南池袋大勝軒も、やはり直営店舗だ。

そして2011年11月1日オープンの東池袋大勝軒・京都拉麺小路店や、2011年11月24日オープンの東池袋大勝軒・高崎吉井店も直営店らしい。また横浜大勝軒横浜駅西口店として営業していた暖簾分け店を、2014年6月6日から本家直営店の東池袋大勝軒横浜西口店としている。

さらにお台場温泉テーマパーク内にも、2013年1月11日からイートインスタイルの大勝軒大江戸温泉お台場店としてオープンさせている。もう一店は羽田空港国内線第1旅客ターミナルビル内に、2013年12月24日から羽田大勝軒が業務提携店として本家が携わっている。

それにしてもボリュームの良い餃子もかなり美味しいもので、それだけに気がつけば完食だった。見上げると山岸マスターの笑顔のフォトがあった。ふとリアルタイムの氏の笑顔がこちらでもう見れなくなったことを悟った、我に返ると目前に賑やかな店内が広がっていた。

いや、かなりとんでもなく絶大に果てしなく、何処までも途轍もなく確実に明瞭に実に良かった。さようなら、ラーメンの神様。

(左フォト) 店頭/ゆでもり(汁・麺)/餃子3コ入り (2015.04.02)


 東池袋大勝軒 本店

 もりそば・中華そば各麺量:並340g/中550g/大800g  ※公式サイトはこちら

 住所:東京都豊島区南池袋2-42-8  TEL03-3981-9360  定休日:無休

 営業時間:平日・土曜11:00〜23:00/日曜・祝日11:00〜22:00 ※スープ切れで終了

 アクセス:東京メトロ地下鉄有楽町線東池袋駅1番出口下車。1番出口を右に進み、少し歩いた
       右側。JR池袋駅東口からでも徒歩圏内でおよそ6分。


※今回だけ、フォト紹介文を省略させて頂きます。 






梅雨らしい曇り空が広がり、台風が近づいている影響もあってか、これから雨も予測されていた六月水無月中旬の休日火曜日だった。

今月の八日より東池袋大勝軒山岸一雄氏のドキュメンタリー映画である「ラーメンより大切なもの 東池袋大勝軒50年の秘密」が都内池袋等で先行ロードショーが開始された。

その八日の夜は、それに気がつかない内に東池袋大勝軒系の一店に吸い寄せられて、その系統のラーメンを口にしていた。2時間待ちの行列、数百人の弟子、毎日来る常連たち 必要なのは味だけじゃなかった。と言うことらしい。

以前フジテレビの番組で3回に渡って放映され、大きな反響を呼んだドキュメンタリーを映画化させたものだそう。それを見逃していただけに、余計気になるところとなった。

普段のラーメン番組等では語られることの無かった、山岸一雄氏の人生が紐解かれていると言う。そんなわけでその映画が上映されているシネマサンシャイン池袋へ出掛けることにした。

それならば第2次上映時間の正午12時開始の時間帯に合わせて、その前にそこはもちろんこちらを訪れてラーメンしてから映画を見ようと考えた。

開店時間の少し前に到着して食べ終えて直ぐ向かえば、こちらから五分程度の場所にある映画館だけに、そんな行動が可能だと直ぐさま思いついた。

と言うことで都営新宿線電車で都心に出て、市ケ谷で東京メトロ有楽町線に乗り換えて東池袋駅で降りて一番近い出口1から出ようとした。

すると出口周辺工事の関係からか現在閉鎖中となっており、やむ得ず出口3から出ると都電荒川線の東池袋四丁目電停の目の前で、ちょうど都電車両が大通りを横切って行くところだった。

店頭には開店10分ほど前に着いた。その頃から霧雨のような雨が、滴り落ちて来た都内だった。何気なく見上げると東池袋大勝軒の威厳のある看板の上に阿部幸太郎よりと記された幕のような綺麗な刺繍があることに気付いた。

そう言えば東池袋大勝軒が、こちらへ移転した時から見たような気がする。競馬評論家の阿部幸太郎氏がパーソナリティを務めるTBSラジオの東池袋大勝軒一社のみの提供番組「アベコーのモリモリトーク」が二年前まで放送されていたらしい。

そんな関係から贈られたものなのだろう。程なくお店の方が出て来られ、目の前に暖簾が掛けられ、券売機の電源が入った。カレー中華復活のインフォにそれが気になったが、デフォルトの魚介醤油がやっぱりいいとなって、予定通りチャーシューメンを選んだ。

そしてこうなればとなって、思いつきで半熟玉子と辛味のボタンも連打。店内へ入ると壁面には餃子やしゅうまいの美味そうなビジュアルインフォメーションがあり、思わずそれも行くかと考えたものの冷静になって踏み留まった。

券売機の近くにあったら、思わずボタンを押していたことだろう。入店時一番乗りで開店直前の時は数人後ろに並ぶ程度だったが、ものの数分で店内の殆どの席が埋まって行って、さすがそこは東池袋大勝軒のこちらだった。

店頭の歩道を歩く人の傘を指す割合が次第に多くなって行く。カウンターにあったお土産の案内に、夜はもりそばで行くかとなって二人分をお買い上げさせて貰った。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、そこはもう大満足以外何物でもない、そんな絶大に美味しいチャーシューメン。半熟玉子も実に美味しかった。

さりげない魚介に醤油の持ち味がさらりと来て、分厚いチャーシューがたまらなく素晴らしかった。それにしてもいつ食べても、こちらのボリュウムは凄いとしか言いようがない。

麺が半分程度減ってから、挽き肉の辛味を投入し、そちらも楽しませて貰った。なお、たまたまだろう、飯野店主は、おられなかった。気がつけば完食。

店の方へ挨拶して外に出て店頭の撮影をしていると、目の前にあったサイクリング車の持ち主がこちらから出て来られ、話し好きな方らしく店頭で世間話しが始まった。東池袋大勝軒には中学生の頃から通っているのだそうで、もう40年のつきあいになるらしい。

その後予定通り映画を鑑賞。後半にはもう涙が止まらなかった。まさしく東池袋大勝軒50年の秘密と言うサブタイトルに相応しいノンフィクションと言えた映画だった。

東池袋大勝軒ファンならずとも、ラーメンが好きな方ならば是非とも見て欲しい映画と言えた。いや、今回のチャーシューメンもまた果てなくとんでもなく良かった。

(左フォト) チャーシューメン+半熟玉子/辛味/映画ポスターが貼られた店内 (2013.06.11)





本日は早めに自宅を出て、今日からリニューアルオープンした、東京ラーメンストリートの一店を訪れた。そして午後から池袋で仕事に関係する研修があった日だった。

それも陽が暮れる頃には無事終了して、研修会場だったビルから外に出ると、暮れなずむ池袋の街が広がっていた。

こうしたシチュエーションだからなのか、ふとこちらの店先が脳裏に浮かんで、大都市池袋の雑踏を擦り抜けるようにしてその店頭へやって来た。

12歳の頃から都心の中学校へ通学して以来、ほぼ都内と千葉を行き来していただけに、夕方の池袋の雑踏の多さも大したものでなかった。午後6時を過ぎても春の空は、まだ多少の明るさを保っていた。

そんな時間のこちらへ立つと特に入店を待つ方はいないものの、店内はほぼ満員と言う盛況さで揺るぎない人気店のオーラに満ち溢れていたこちらだった。

入口には新発売数量限定と添え書きされていた、復刻タンメンなるメニューのビジュアルインフォが目立っていた。

そう言えば何度となくそうしたメニューの存在だけ知っていたが、確か渋谷大勝軒でも口にできずそのままになっていたメニュー。

そんな復刻タンメンがあるのならばとなって今回そのボタンを押して、どうせならばと中盛ボタンも連打した私であった。

店内へ入るとカウンターの中程辺りの席に促されて、そう待つ事もなくまさしく程なく到着だった。

来るまでは中華そばと思ってやって来たが、意外なほど共通性を感じながらも完全無欠のタンメンそのもの。

復刻の二文字が単なる飾りでない事が判るほど、そんなしみじみとした美味しさがそこには在った。

思わずお酢を振りかけたくなるそんなレトロ系のタンメンだったが、そこは最後まで振りかける事なく東池袋大勝軒のメニューとして楽しませて貰った。

直ぐ近くにお店の方がおられたので復刻タンメンについて確認させて頂くと、背中から飯野店長の声が聞こえて来た。

振り返ると、昭和50年代の旧東池袋大勝軒時代に提供された山岸マスターのレシピを元に忠実に復刻されたタンメンである事を教えて頂いた。

勢いのあるそんな味わいもあって、それは気がつけば完食だった。いや、とんでもなく、実に良かった。

(左フォト) 復刻タンメン中盛/暮れなずむ程近い東池袋交差点 (2011.04.08)






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雨明けて爽やかなる青空から目映い光の束射す、十二月・師走の前半金曜日の午前中。高層ビルに街路樹の影が映り込んでいた、池袋駅界隈のメインストリートであった。

昨年九月のリーマンショック以降不安定な世界経済が続き、同じ今年の九月には民主党政権が誕生した。

昨日は円高がやや収まったものの予断は許さない状況が続いていて、先日は政府がデフレ宣言をしてまた日本の今を映す年末となっている。

TVではそれを受けたように、牛丼が安くなった事を報じていた。そんな経済状況の中で無職になると、またその実感にも感慨深いものを感じるものだ。

ともあれ本日もラーメンと言う事で、こちらへ行く事にした晴天の午前中であった。池袋駅から散歩がてら向かって行く。

店頭に到着すると、復活オープンして間もない頃と同じように、店外券売機の横に山岸マスターがおられた。

千円札を財布から出しながらも世間話しに花が咲いて、後続の方に思わず先を譲り脇に逸れて話し込ませて頂いた。

昨夜遅く渋谷大勝軒1961が紹介されていた事をお話しすると、お茶の水の2号店だそうで頑張って日々甘んじず勉強している事を教えて頂いた。

少し前にマスターの古巣である荻窪丸長に端を発する中野大勝軒へ伺ったが、味がかなり違う事をお話しをして見た。

すると当時あっさりの要望が強い時代で、そんな経緯の中でお兄さんの指示でそんな味のカタチが決まって行ったそう。

昭和36年に創業させた時は、ご自分が考える味のカタチが出来てそれは嬉しかったそう。

店別対抗の野球大会は十年近く続いたそうで、一番いい時代だったそう。それは昭和50年代まで続いたらしい。

また中野大勝軒を創業させる前は阿佐ヶ谷にあった栄楽におられ、そこから坂口氏と共に二人で独立した事など、丸信の店名も何気に飛び出していた。

短い時間だったがマスターから直接色々とお聞きする事が出来て、大変に光栄で貴重な店頭の会話となった。

そんなお話しも終わり再度おじぎして券売機に立ち、辛味ラーメン並盛りを選んで入店。

五人程の店内列の後ろに着いて、程なく厨房前のカウンタ席に促され、コップに冷水を注いでからそこに腰掛けた。

搬出口のすぐ隣りでお店の方が出て来るオーダー品を受け取っては先客のテーブルに届けていた。

ほぼ二年ぶりのこちら。途中でそんな搬出口に立つ方にお聞きすると、マスターは水曜日の定休日以外ほぼ毎日外で入店客に挨拶されているそうで、やはり心配が先に立ってしまう。

ふと見ると右斜め上には、創業当時のフォトが並んでいる。店内の列が外に出る勢いになって来たが、それでも平日はそんな所で落ち着いている感じであった。程なく到着。

久々の本家の中華そばに、挽き肉で出来た辛味玉が小皿に付いて来た辛味ラーメンだ。少し前に門前仲町の関連店で、口にしたのとほぼ同じビジュアルだった。

マスターが直ぐ側におられるだけに、口にするその雰囲気は違うと言うもの。それは厨房の中におられる方にとっても、立場は違っても存在から受けるその気概は変わらないはず。

もうこれは美味そうだ。とりあえず辛味玉には手をつけず、それではと行かせて貰えばそれはもう、いやいや美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い。

じんわりと来るうま味迸るスープに、多加水系非熟成的なもっちり感がたまらない麺がとんでもなくいい。肉々しいチャーシューも、噛むたびに肉汁が口に広がるものだ。

途中から小皿の辛味玉を投入。レンゲに乗せてスープを含ませながら溶かして行った。するとニンニクの香りがフワンと来て、風情が大きく変化したその中華そばを楽しんだ。

まさしく気が付けば完食。ほとんど顔を上げる事はなかった。美味かった。ドアを出て外のマスターにまた深くおじぎする。笑顔が素敵なマスター。今日もまたとんでもなく美味し中華そばであった。

(左フォト) 辛味ラーメン並/創業時のフォト (2009.12.04)


「もはや戦後ではない」からも、50年以上の月日が流れた。国際貢献に国際社会で、揉まれた果ての今の日本は、原油高騰による物価値上げの荒波が押し寄せていた。

せめてもなのか映画「ALWAYS三丁目の夕日」に、良き時代の過去を振り帰る年末年始。

そんな中、昨年三月に惜しくも閉店してしまったこちらが、元の場所のすぐ近くに年明けの5日より復活して営業を再開した。そんな訳で、本日の昼時に出掛ける事にした。

丁度正午頃、店頭に到着。開店復活初日にTVニュースでも取り上げられ、山岸マスターが店頭でお客さんに御挨拶をされていた。

気温が下がって寒くなった今日も、同じ位置でお客さんを迎え入れていた。さすが尊敬する御大のマスターだった。

開店祝いの言葉で御挨拶して、見ると並ぶ前に、券売機で券を皆さんが買われていたので、右へ習えで「もりチャーシュー」を選び、列の最後尾へ向かう。 ・・・向かう。

おお、50人近い列。さすが東池袋で、やつぱりおそるべし。なお元の場所は、再開発でまもなく完成する、目の前のエアライズタワーの反対側。

店頭近くになると、一時間近く経過していた。そこでお店の方が券を集めに来られたのでお渡しすると、もうチャーシュー増しは出来ないそうで、券売機のボタンも売切れにしたらしい。

もう一度選び直してと言う事で、やむを得ず、もりメンマに変更。そんなこんながあり、店内で最終待ちの後で自分の番となり、入口近くのカウンタ席に着席。程なく到着。

おお、昔のこちらに近いと定評のある両国に近い感じだが、またちょっと違った所もあった。

復活まもなくでオペレーションも落ち着かないながらも3日目とあってか、いやいや、これは旨い旨い旨い旨い旨い旨い、いや美味い。

後半は豆板醤を多めに入れ楽しむ。むしろメンマ増しにして正解と思える程にメンマが良かった。

ちなみに、一昨年の12月に食した、もりと全然違う仕様のつけ汁だったが、今日のは好みとも言えて良かった。気がつけば完食。

スープ割りもいい感じ。マスターとツーショットの記念撮影も出来て、とっても良かった。いや、かなりに旨かった。

(左フォト)  山岸マスターもおられた店頭/もりメンマ(汁・麺) (2008.01.07)

※以下は、「豊島区東池袋4-28-3」時代。

こちらの地が、来年二月を以て、周辺再開発の為、閉店するらしい。20代の頃はTVで見ていただけで、ここを訪ねる程、ラーメンにハマってはいなかった。

そして食べ歩く様になって、まだ同じ建物があると知った。もはや、再訪である。

見上げれば、薄い灰色の雲が覆うものの、薄い陽射しが照らす滴の落ちて来ない、週末はクリスマス商戦が真っ盛りになる前の火曜日。それが過ぎれば、除夜の鐘も近い。

午前11時半頃、店頭へ到着。案の定30人近い、列が待ち受けていた。寒空の下、胸元をすぼめて、順番を待つ。それにしても、今日も寒い。ちなみに私のすぐ前は、若いカップルでやたら熱かった。

ふと、もうすぐ取り壊される、建物を改めて見上げる。目を降ろすと、「角ふじ荘」とある表札があった。

それは、 し、知らなかった。オーダーの確認があり、普通で麺350gらしい、もりをお願いする。建設中だった前の空き地には、首が痛くなる程の高層ビルが出来上がっていた。

30分くらい待って、十番目くらいになった頃、外のテーブル席ならすぐ食せるご案内が前の方から来て、寒い所為か中の席を待つ方ばかり。

それもまた乙だなと、それで行こうとお願いした。おお、十人飛びで着席。程なくひやもりが到着。

両国大勝軒にも近いもので、いや旨い旨い旨い旨い。もう一人外を受け入れた方がおられ、色々と調味料を使っており、ちょっと真似て見ようと、辛みそをやや多めに投入。おお、これもなかなかイケた、つけ汁となった。

気が付けば麺が消えた。席を立ち、ドンブリを持って厨房入口へ行き、スープ割りをお願いする。

程なく湯気が大きく立ち上るドンブリが来て、席に戻りすすれば、トンコツ感きわまる旨いスープ割りだった。

精算時に、来年のこよみを頂く。そこには、「独特なそばの味、大勝軒」とあり、住所の「東池袋4-28-3」に、感きわまるものがあった。時代はいつも古い習慣の箱を壊し、無機質な箱にすげかえる。

(2006.12.19)※閉店日の予定が途中で変わり、3月20日を以って閉店となりました。





2006.12 ひやもり麺350g (汁・麺)

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2003.10 あつもり(麺280g) 2003.10 平日の午前中でもここは別。 2006.12 建物の名は、角ふじ荘。 2006.12 ここが「つけ麺」、発祥のお店。
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神々しい域にさえ達している。もはや、行くべきである。昨日と打って変わって日本晴れ。飯田橋駅でJRから長い連絡路で営団地下鉄有楽町線へ。東池袋駅の4番出口を出たら、背にあるサンシャイン60に向かい、迷う事無く辿り着く事が出来た。店頭には4〜5人のお弟子さんの方がいらして、今日は少ない方だそうで、10人の列があった。午前10時半頃であるが確かにそうかも知れない。

昔はお弟子を取らなかったそうだが、その反動なのか店主の山岸さんの人徳もあり、お弟子さん志望引く手あまたといったところか。お店の前は工事現場で、公園も配した住宅・商業複合施設が出来るらしい。そしてこちらと言えばTVでよく見た建物だが、金網で補修している部分もあり大変歴史を感じる建物。ふと見ると小麦粉の袋が山積みされているのが見える。注文を聞かれ、あつもりをお願いする。しばらくの間並び立ち、店内に入れたのは丁度一時間後であった。

つけ麺の考案者である店主の山岸さんが目の前におられた。思わず、キャー素敵!と言うしかなかった。勿論言わない。店内はL字カウンタとテーブル席が二つ。そのテーブル席の奥の方で相席で着席。特に説明の無い色紙がこれでもかと張ってある。比較的大きいTVが狭い店内に埋め込んだ形である。程なく到着。

店内はこの季節に冷房がよく効いて、またこれが丁度良いのだが、そのせいであつもりの麺から湯気が景気よく立ち上る。なんと言っても考案者である。発明者である。このつけめんが生まれ無ければ世につけめんは存在しなかったのかも知れない。カン水を押さえたもっちりした麺は、喉越しも配慮した最高傑作。300g近いそれは、いともたやすく胃に収まる。

チャーシューもいい感じだし、シナチクがまた旨かった。完食してお店を出る時、「御馳走様でした」と厨房に投げかけると店主が爽やかな笑顔で会釈してくれた。TVで何度と無く見たこちらのお店。やはりここがベストオブナンバーワンである。多くのラーメン店を営む方にとっても、ある意味、目指す道の先にあるお店なのかも知れない。外に出ると50人近くが、秋の柔らかな陽の下で並んでいた。

(2003.10.09)