東京らぁめん 青龍
東京・上野 ※2014.5.19閉店





夏の潤いをまだ何処か閉じ込めているような、そんな青空から陽射しが煌めいていた、くすむ若葉さえ薫る季節の五月皐月後半月曜日。

今日も仕事が終わって外に出れば、また穏やかな夜風が街を駆けていた午後七時過ぎだった。

いすず〜小林〜青龍と続いて来たこちらが、寂しくも店主が引退のため閉店することになって、本日がその最終営業日を迎えるのならば、そこは行かないわけにはいかなかった。

そんなわけで、長年ずっと走り続けて来たマラソンランナーが辿り着くゴールがそこにあるならば、そのゴールテープの前でねぎらいの言葉をかけるべくその店頭へやって来た。

さっそく入店するとそんな最終営業日に相応しい、こちらを愛する方々で埋まるそんな賑やかな店内が待っていた。カウンターの席が空くのを、二人組の方が待ち椅子で待っていた。

その後ろに置かれた椅子に腰掛け、先客が帰るまでしばし待つところとなった。皆それぞれのスタイルを以て、愛すべき閉店して行くこちらを惜しみながら留まっていた。

それにしてもこの最終日に何をオーダーするか悩ましいもの。いつもの調子で醤油チャーシューを食せば、頬を伝うものが店内の眺めを滲ませることになるだろう。

カウンター席では常連さんらしき方々が、いつもの調子で餃子をつまみながらビールやサワーで喉を潤していた。

そんな一人の方が、いつも醤油しか食べなかったけど味噌もかなり良かったことを何気なく自席で仲間に漏らしていて、思わず聞き耳を立てていた私は「それだ!」と心の中で叫んだ。

ふと見るとテレビカメラを抱えた撮影クルーの方が、一人狭い店内の中で撮影に勤しんでおられた。

最終日となったこちらの様子をドキュメント番組のようにカメラを回していた。どうやら某氏の関係で閉店して行くこちらが、近々某番組で紹介される予定らしい。

しばらくすると一番奥のほろ酔い気分のグループ客が、別れを惜しみながら店主に挨拶をされて帰って行かれた。

奥の席が空いて前に並んだ方々と一緒にそのカウンター席に腰掛け、前の方々がオーダーを済ませてから、味噌ラーメンに餃子とミニチャーシュー丼もお願いした。

するとチャーシューの端切れが無くなってしまったらしく、楽しみにしていたミニチャーシュー丼は終わってしまったようだった。

それならば致し方ないとなって機転を利かせ、味噌チャーシューと餃子でお願いすることにした。

ふと気づくと単身テレビクルーの方が後ろにいつの間にかおられて、取材で今回の閉店の感想を聞かれて思ったことを素直に言葉に出して行った。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、予測を遥かに超えた絶大に果てなく素晴らしい美味しさがたまらないもの。これが閉店して行くラーメン店の味噌らーめんであることがまた切なかった。

チャーシューがまた以前にも触れている切なくなるほど素敵な旨さで、それが味噌スープにも馴染んで来て良かった。気の所為かチャーシューの枚数がまたやたら多かった。

餃子もまた変わらない素敵な旨さで、気がつけば完食。いや、かなり絶大に壮大に途轍もなく何処までも果てなく素晴らしい味わいで良かった。

ラーメン小林閉店時の別れの言葉で、このレポートを閉めたい。 ありがとう、そしてさようならと。

(左フォト) 味噌チャーシュー/自家製餃子/店舗と周辺 (2014.05.19)


 東京らぁめん 青龍(せいりゅう)  ※ラーメン小林@秋葉原の店主が営むラーメン店です。

 住所:東京都台東区東上野3-39-7長春堂ビル1階

 定休日:日曜日  営業時間:11:00〜24:00 ※土曜・祝日〜20:00

 アクセス:JR上野駅浅草口・東上野口下車。スカイウォークで昭和通りの奥の方まで進んで
       降り、浅草通りに出て浅草方面に20m程歩いた直ぐ右側の白いビル1階にあり。








水蒸気が青空を覆うものの陽射しは淡くも街を照らして、風薫るそんな若葉萌ゆる晩春の五月皐月半ばの水曜日。

今日も仕事が終わって外に出れば、昼時は全国で今年一番の暑さとなったらしく、周辺も夏日を記録したようで、そんな初夏の陽気を引きずっていた午後七時過ぎだった。

今夜もつけ麺気分になれず、何処かで美味しいチャーシューメンで行こうとなった。そんな時にそう言えば今月の十九日で閉店するこちらのチャーシューメンが思い浮かんで、仕事帰り寄って見るかとその店頭へやって来た。

さっそく入店すると人生の大先輩らしきサラリーマン風の方々がお酒を嗜み交わしながら店内をいくばくか賑やかにしていた。その三人組の方だけでなく一番手前寄りにも単身客が二人居て、そこそこに盛況な店内のこちらだった。

壁寄りにおられた方がちょうど精算を済ませており、そこが落ち着けそうな場所だったので店主に挨拶しながらもその先客が帰って行くのを見届けてからそのカウンター席に腰掛けた。

そして開口一番、醤油チャーシューをお願いした。店主が70歳を越されたこともあってか、引退を決意されてまもなく閉店して行くこちらだが、今でも午前0時まで営業しているそう。

体を壊してからでは遅いと言う見地からすれば、それを受け入れるべきだと思う。とは言え、心の何処かでは暫く休んだら昼営業だけでこじんまりとした店舗営業を希望しており、そんな想いをついつい言葉に出してしまった。

そう言えばその昔「ラーメンいすず」が秋葉原以外でも営業していたことをネットで知っていて、今回そこら辺のことをさりげなくお聞きして見た。

「ラーメンいすず」は、当初小鍋で温めて提供していたそうで、その当時からの常連さんである柳家小袁治さんがそのことをよく御存知だそう。そんな秋葉原のいすずが、2000年6月一度閉店した。

そして一時閉店した翌月には、東京都中央区銀座4-10-14で移転リニューアルオープンを果たした。場所は東銀座の三原橋交差点近くで、そこでは一年ほど営業していたらしい。秋葉原とそう変わらない営業スタイルがウケなかったそうで、続かず閉店するしかなかったそう。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、もう切なくなるほど生姜の風情がラードと溶け合って、もうどうにもたまらないもの。そこにこのチャーシューの美味さと言ったらなかった。

思わずチャーシューの多さに、ラーメンライスならぬチャーシューライスで行こうとなって半ライスを追加オーダー。するとホウレン草のおひたしが一緒に来て嬉しい誤算。

それは醤油を軽く回し掛けて一緒に美味しく頂いた。半ライスにこれでもかとチャーシューを乗せて喰らえば、その素晴らしきチャーシューワールドにハマってしまうしかなかった。気がつけば完食。

いや、かなり果てなくとんでもなく絶大に絶え間無く、何処までも素敵でなかなか素晴らしく良かった。

(左フォト) 醤油チャーシューメン/サービスで来たホウレン草のおひたし (2014.05.14)


JR上野駅中央改札口から出て向かうと判り易い。

上野駅正面玄関からスカイウォークへ上がる。

上野駅スカイウォークで、昭和通り奥の歩道に降りる。

夜の店頭。

メニューリスト。

オーダーした半ライス。








夜半に雨が降ったらしくアスファルトがくすんだ色を見せて、見上げた空は今日も青空が雲に隠れて気温が下がり気味となっていた。

思わず久しぶりケーブルニットの柄入りショールカーディガンを羽織って出掛けた、五月上旬世間はゴールデンウイーク最終日のそんな休日火曜日だった。

某カラス氏のいつの間にか始めたブログによれば、沼尻店主が営んで来た青龍が、なんと今月の十九日を以て閉店してしまうらしい。

それを教えてくれたのは、某マイミク女史の人気ラーメンサイトだった。

昨年の夏に立て続けに二度訪れた時には、そんな素ぶりも全く見せていなかっただけに、只々驚くばかりだった。

とは言え、七十歳を過ぎてだいぶガタが来ているようなことをお聞きしていただけに、あながち判らないわけでもなかった。

先日悲しくも周富徳氏と佐野実氏が相次いで他界されてしまった矢先だけに、引退もやむなしとも言える。

いすず、小林、青龍と続いて来た、東京ラーメンを代表するラーメン店に間違いなく数えられるべき一軒のこちらだ。

秋葉原の地で三十年、上野の地で十年、途中に浅草で半年のオマケも付くが、長きに渡って厨房に立って来た店主とその陰で支えて来た奥様と息子さんにも心から本当にご苦労様でしたと申し上げたい。

そんなわけで何ともどんよりとした雲が周辺の空を覆うなか上野駅で下車。

グランドコンコースからこちらへ向かうと、そこに御神輿が披露されていた。下谷神社大祭が九日から始まるようで、その際に使われる御神輿だった。

上野駅からそう遠くない場所に位置する下谷神社で、銀座線稲荷町駅の直ぐ近くにあり、その神社があることから稲荷町駅はそう命名されている。

その境内には1798年初代三笑亭可楽によって初めて寄席が催されたことから、寄席発祥の石碑が鎮座している。閑話休題。

そんな御神輿を横目にスカイウォークで昭和通りを越えて、駅前周辺に位置する雑居ビルの一階で営業しているこちらの店頭へやって来た。

さっそく入店すると直ぐに気がついて頂き、思わずご挨拶。奥様が何故判ったのか聞かれて来たので、カラスさんのブログで知ったことをお話しした。

すると、店主がカラスさんがワンタンメンを紹介すれば翌日ワンタンメンがよく出るし、別のラーメンを紹介すればそれがまた翌日よく出ることを教えてくれた。

ゴールデンウイークもあってか、閉店を知って来た方と周辺に在住している常連さんで数人席が埋まる程度の店内だった。

中ほどのカウンター席に腰掛けて、まずはお目当てだったランチ限定の無料サービスとなる半チャーハンをお願いしつつ、頭上のメニューを参考にしながら醤油ネギラーメンに餃子もお願いすることにした。

気になっていた店名由来は、娘さんの旦那さんが龍が好きだったところから名付けた店名なのだそう。

いすずと小林は以前のテナントの人が名付けた店名をそのまま利用したようたが、青龍だけは自らのご意志で名付けたことが判った。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、何処かラーメン小林時代にも似た風合いの東京ラーメンらしい生姜がピリッと利いた風合いがもう実にたまらないもの。

麺はもちろん浅草開化楼製で、最近はなんと小麦粉はカラス氏が作った傾奇者を利用しているそうだ。もうなるほどな美味しさで実に良かった。

チャーシューがまた何処か小林を彷彿する風情で、ひたすら素敵だった。餃子もなかなかの美味しさで、半チャーハンもその昔を思い出すもので本当に泣けた。

秋葉原駅前にまだ神田青果市場があった頃、その駅前に沿うようにラーメンスタンドのいすずが営業していた。

当時オーディオが趣味で何度となく秋葉原へ訪れ、そしてそれが講じて秋葉原家電量販店が勤務先となってここでは紹介していないが幾度か口にしたものだ。

そして小林は昭和通り沿いの秋葉原駅からそう遠くない角地に在ったラーメン店で、店名看板の無いバラックのような建物は一時期はラーメンのノボリがなければ何の店か判らないそんな店だった。

そんな小林が立ち退きにより浅草に移転して、店名も新たにリニューアルオープンを果たした。帰り際挨拶して程なく振り返ると代金未払いに慌てたのも今ではいい想い出だ。

半年ほどしてから諸般の事情で上野駅前にさらなる移転。生姜がピリッと効いた東京醤油ラーメンは、そこでも変わらずに顕在していて胸を撫で下ろしたものだ。

気がつけば完食。精算をちゃんと済ませてから挨拶して外に出ると、五月らしく赤いつつじの花が、こちらの東京醤油ラーメンの如く店先で咲き誇っていた。

いや、かなり果てなくとんでもなく絶大に絶え間無く、何処までも素敵でなかなか素晴らしく良かった。

(左フォト) 醤油ネギラーメン/ランチ半チャーハン/お知らせ/店頭 (2014.05.06)


まもなく始まる下谷神社大祭の御神輿が披露されていた。

スカイウォークを降りたら、浅草通りへ進んで直ぐ。

東京ラーメンを代表するラーメン店の一軒のこちらだ。

半チャーハンは、早めに来ないとありつけない時も。

麺は浅草開化楼製で、傾奇者を利用しているそう。

餃子は五個来て、肉餡ぎっしりで実に美味しい。




朝方は曇り空だった空からふと外を見ればいつの間にか雨が滴り落ちていて、一日雨降りの天気予報が出ていたそんな七月文月下旬の月曜日。

今日も仕事が終わって外に出れば、帰る頃にはそんな雨も上がってまた穏やかに日が暮れていた午後七時過ぎだった。さて今夜はどうするかとなった時に、反射的に先日訪れたばかりのこちらを思い出すところとなった。

限定冷しラーメンに思わず食べ忘れた、本来食べようと考えていたラーメンがやはり口にしたいとなってそれならもう一度とまた訪れることにした。そんなわけでまた上野で途中下車して、元ラーメン小林と言えるそんなこちらへやって来た。

店頭に立つとちょうど精算を済ませた先客が三人ほど間をおいて出て来て、中へ入ると一人の先客がラーメンを口にして先日と同じように厨房に店主だけがおられた。前回食べ忘れた醤油チャーシューメンを食べに来たことを告げながらカウンター席へ腰を下ろすと、店主がにこりと笑顔で返事を返してくれた。

大盛りにしようかと思っていると提供メニューにワンタンメンがあることに気がつき、それならば大盛りにしないで醤油チャーシューワンタンメンの普通盛りで行こうとそれをお願いした。

ふと2003年11月に閉店して行ったラーメン小林時代のお話しが聞ければと思って、そちらの方に話題をさりげなく変えると意外な事実を知るところになった。あのバラックのような建物は当初別の方がラーメン小林と言う店を営業していて、その射抜き物件で店主が営業を始めたラーメン店であったらしい。

とある事情から、店名をそのまま使用したのだそう。すると店主は小林さんでは無かったのかと更にお聞きすると店主のお名前は沼尻さんだと教えてくれた。祖先は茨城・霞ケ浦の鉾田に住んでいたらしく、そんなところから沼の尻と言う姓名を付けたらしい。

そう言えば昭和48年頃に始めた「いすず」もまた焼き鳥屋だった屋号をそのまま利用してラーメン店を開業させている。ちなみに創業初期の8年間は、沼尻店主がその厨房に立っていたそうで、その後任せられる方が出来たのだろう、店主は昭和57年頃からラーメン小林をあのバラックで営業していたようだ。

店主は今年で71歳になるそう。見た目はどう見ても60代前半で、当分はラーメン稼業が続くことだろう。程なく到着。ワンタンはいずこ?と、チャーシューを一枚めくって見ると、その下に多めに沈んでいた。

それではと行かせて貰えば、鶏ガラ主体のスープだそうだが、この時間の所為だろうか、そこそこに入るゲンコツがしっかりとした味わいを形成して生姜がやや引っ込んだもの。ともあれこれはこれで、なかなかの実にとても素敵で素晴らしい美味しさ。

チャーシューがやはり泣ける旨さで、ワンタンは確かラーメン小林時代以来でこれまた泣けた。気がつけば完食。いすずは焼き鳥屋で、ラーメン小林は射抜き物件の前店名。すると現在の青龍は?と思うのが自然の摂理だが、とりあえずその件は確認せず精算を済ませて後にした。

いや、かなりとんでもなく果て無く実に良かった醤油チャーシューワンタンメンだった。

(左フォト) 醤油チャーシューワンタンメン/店舗遠景/店舗周辺 (2013.07.29)







厚い灰色の雲が青空と遠くに見える街を隠して、午後から雨の予報が出ていた、また夏薫る七月文月下旬の水曜日。

今日も仕事が終わって外に出れば、午後から降り出していた雨が降りしきる、足元ぬかるむそんな午後七時過ぎだった。

こうなると駅から歩く遠方の店は避けるところとなって、駅からほど近い店で何処かないだろうかと思いを巡らせていると上野駅周辺の某店がふと脳裏に浮かんだ。

その店が思い浮かんだ時点で、そう言えばこちらをしばらくご無沙汰にしていたことが反射的に脳裏に浮かんだ。元ラーメン小林の浅草開化楼の麺を提供する、以前はそうあの秋葉原にあった店だ。

カフェでここ最近何度か上野駅の改札を出ているが、そんな時にはまったく引き出しが開くことはなかったものの、しかしこうした時には不思議と思い出すもの。

通勤でこの数ヶ月上野から高崎線などの中距離電車を利用して来たが、浦和周辺の店に注力していただけにそこは気がつかなかった。

そんなわけで、浦和で直ぐに中距離電車の上野行きに乗車。中央改札から外へ出て、グランドコンコースを進んで行く。

すると先日も気がついたが、そのコンコース頭上に大王イカが吊されていた。現在上野国立科学博物館において「深海−挑戦の歩みと驚異の生きものたち」なる特別展が開催されているようだ。

また今年は上野駅が開業130周年を迎えるらしく様々なイベントがあるらしい。ともあれ大王イカを見上げつつ、上野駅からほど近いこちらの店頭へやって来た。

ちょうどお洒落な黒塗りの都バスが、店頭の近くにあったバス停の前で停車して、乗客を一人だけ降ろして目の前を横切って行った。

入口に立って何一つ変わらない店先に安堵しながらも、先客が見えない店内に雨の所為だからだろうかと心配しながらも入店すると、死角になった場所に一人常連さんらしき方がおられたフロアだった。

店主お一人だけが厨房におられて、久しぶりの訪問を詫びながらも、店主の前のカウンター席に腰を下ろした。

ふと見ると店主の後ろの壁に水色の模造紙が貼られていて、そこには「冷し塩ラーメン始めました」のように案内されていた。

去年から始めた夏季限定メニューだそうで、今年もごまみそつけ麺と共に先月から提供を開始したそうだ。こんな日にはぴったりなメニューだけに、今夜はもはやこれしか考えられなかった。

その案内の横に餃子のインフォもあったので、この際だからとその二つをオーダーすることにした。

その後店内で世間話しに花が咲いた。生姜がしっかりと効いたこちらのラーメンだけに青島ラーメンと共通点があることを言うと、よく来店する方からもそう言われることを教えてくれた。

そこで新潟・長岡の青島食堂と店主に何か接点がないかお聞きして見ると、神奈川・横浜生まれの店主だそうで父親は発電所の技師をされていた方だそうだ。

太平洋戦争の戦火が厳しくなると、家族は山形へ疎開したのだそう。山形と言えば冷しラーメンであり、さりげなく提供される夏季限定にそんな店主の片鱗を見るところとなった。

終戦を迎えると母親の実家である、東京・深川に身を寄せることになったそう。実家はそこで木材業を営んでいた。ラーメン作りを覚えたのも、深川の街だったらしい。

ちなみに友人がプリンスホテルのコックをしていたそうで、初めて覚えた料理はラーメンならぬカレーライスだったそう。

青島食堂と接点はなかったが、名店青龍店主の半生をお聞きすることが出来た。程なく到着。

それではと行かせて貰えば、なんとも麗しくも素晴らしい、ギンギンによく冷えた大変に美味しい冷し塩ラーメン。

煮干しの風情が前面に出て、生姜が控えめながらも、こちららしさが何ともよく出ているものと言えた。餃子もなかなかの持ち味があって良かった。

気がつけば完食。いや、これは猛烈にとんでもなくとても良かった、かなり果てなく素晴らしく何処までも美味しかった夏季限定冷し塩ラーメンであった。

(左フォト) 冷し塩ラーメン/餃子/開業130周年を迎える上野駅 (2013.07.24)

上野国立科学博物館にて、深海特別展開催中。
今年で上野駅は開業130周年を迎えるらしい。

店頭のバス停に、こんな都バスが来ていた。

上野駅から程ない場所で営業しているこちら。

昨年より冷し塩ラーメン始めました。

ランチタイムに来れば、無料半チャーハンにありつける。






夜明けまで降り続いた雨も、どうやら午前早い時間には止んだようで、曇り空が広がる天候であるものの折り畳み傘を使う気配は無かった。

そんな冬色の空に何処か早春さえも感じそうなほど、ともあれそれほど寒くもなかった二月中旬の金曜日であった。

しばらく前から秋葉原には昭和通りから路地を入って行った場所に、新潟長岡から青島食堂がやって来て連日盛況を極めている。

生姜を前面に利かせた醤油ラーメンで、何故ここまで混んでいるのか不思議に思う方もおられるかも知れない。

もちろん青島食堂さんのラーメンが美味いからであるのが第一だが、それとは別に以前秋葉原の駅前に「いすず」があり、少し駅から離れた場所に「ラーメン小林」が存在していた事も、起因の一つにあると私は考えている。

そう言えばこちらもあちらも、「青」の一文字が入っており奇遇と言うしかない。

そんな「ラーメン小林」を営業して、「いすず」をプロデュースした店主が、店名を改めて浅草で営業を始めた後で再移転して居を構えているのがこちらだ。

しばらく行かないと本当に行き辛くなり、でも行きたいしなどと考えていたらもうすでに4年近くが経過してしまった。

とにかくまたあの美味しいラーメンをまた愉しみたい、と言う事で本日こそ出掛ける事にした。

そう思って行かなかった日は、数知れずとなっていた今日この頃だった。そんなわけで、秋葉原で京浜東北線快速電車の方に乗車して、上野駅のプラットホームに降りた。

「ふるさとの、訛なつかし停車場の、人ごみの中にそを聴きにゆく」と啄木に詠わせた駅で、小学校高学年の頃から10代後半まで、夜も明けない早朝から特急電車をよく撮影に来た駅だ。

上野駅は子供の頃に初めて行った時には、既に高さが2段に分かれていた。

そんな下のホームの方へ歩いて行くと、ふと特急電車が目に飛び込み、普段はラーメンを撮影しているデジカメで、久々子供に戻ったような気持ちになってシャッターを押していた。もうあれから三十年も経っているのかと気がつく。

そんな後で、よく知るこちらの店頭へやって来た。あまりにも久々で、なんか入り辛い。やっぱり恥ずかしい。まるで疎遠になった遠い親戚と、20年ぶりに会う時のようだった。

ともあれ挨拶せずに、普通の流れ客のように、さりげなく店内へ入って行く私だった。決して来たくなかったわけでも無く、タイミングを逸すると、こんなものだと感じながら。

そんな調子で来たからほぼ正午の時間で、一番込み合う時間帯になってしまい、全席が埋まり二人の待ち客の後ろに着いた。

厨房では店主たちが多忙をきわめていた。奥さんにもさりげなくオーダーを聞かれ、さりげなくチャーシューメンを大盛りでお願いして、ランチタイムは半ライスか味玉子がサービスの案内に、さりげなく半ライスの方でとお願いした。

まもなくすると順番となって、先客が帰って行った空いた席に腰掛け、少し間を置いてから「久々来ました」と告げると、やはり私が来た事に気が付いておられ、なぜか不思議と顔が赤くなる私であった。

それにしても知らないうちに、随分前から「東京らぁめん」の冠が、付いていたこちらであった。麺はもちろんこちらは浅草開化楼で、麺箱が変わらず誇らしげに置いてあった。程なく到着。

それではと行かせて貰えばそれはもう、いやいやいやいやいやいやいやいや、もう美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い。

久々過ぎる程のこちらのチャーシューメン。不思議とつい先日にも、口にした感覚がやって来た。

いいラーメンとは、いつもそんなものである。それは少し前のラーメンに似ていると言う事でなく、そうした気にさせてくれると言うものだ。

ガラス戸のきしむ音が何処からともなく聞こえて来て、すきま風が背中から頬をつたって来た、あのラーメン小林の店内がまるで目前に広がっている感覚に襲われる程の、生姜感がズバッと来たチャーシューメンであった。

しかもチャーシューも小林時代を彷彿としていて、思わず来て良かったと感じた、それは懐かしいラーメンであった。

ちょっと油感は少なめに感じたが、ともあれ何かに吸い込まれるように没頭して口にして行き、それはそれはそれは、気が付けば完食だった。

さぁおつりなしで気持ち良く帰りたいものだ。小銭入れを見ると百円玉が殆ど無く、やむ得ず千円札かと財布を開けば無情にも五千円札オンリーで、もう心はボロボロに打ちひしがれたのであった。

それにしても美味し、チャーシューメン大盛だった。ふと心の故郷とも言えた、ラーメンに思えた良さを実感していた。  ああ 誰か故郷を想わざる♪

(左フォト) チャーシューメン大盛/店舗入り口/店頭外観 (2010.02.12)


今日は営業ルートもあって、久々こちらへ入店する事にした。秋葉原にあったお店で、浅草を経てこちらに構えている。そもそも、浅草開化楼を初めて知ったお店でもある。

正午近くに入るとこれが盛況で、後続も続き待ち客も出来る人気店。タイミング良く座る事が出来て、チャーシューメン大盛でお願いする。半ライスか味玉が選べ、味玉の方にして貰う。お忙しい中、奥さんと店主には、ご挨拶出来た。程なく到着。

いや、相も変わらず旨い旨い。前より麺が少し太くなっていた気がした。チャーシューも、やつぱり良い。チャーシュー六枚が、綺麗に並んでいるのが嬉しかった。気が付けば完食。いや、良かった。

(2005.12.19)

開化楼で思い出したこちらへ、久々に入店する。座席に着いても、お店の方々はフリー客を見る素振り(行かない方が悪い)。チャーシューメン大盛をお願いして、半ライスと味玉どちらかのサービスは、味玉をお願いする。程なく到着。

デジカメで撮影すると、「あ、どうも」となった。「ナルトが沈んじゃったなぁ」と残念がっておられたのだった。やや柔らかめの中太やや細ちぢれの麺が、独特の生姜感を持つスープを絡め、目をつむればあの狭いラーメン小林に座っている錯覚に陥らせてくれる。風の強い日は、ガラス戸がガタガタと鳴った。

最近、以前秋葉原に縁のある某落語家の方が、自サイトでこちらを紹介してくれた事とか、TBSラジオでも紹介してくれた事を教えて頂いた。既に後続客が絶えない、上野駅前の顔のひとつとなっていた。昔秋葉原駅前にあった「いすず」のラーメンをプロデユースした店主。「いすず」は当初、焼き鳥屋だったらしい。

(2004.11.25)

明日は月末なので、今日がお休みだったりする。そんな昨夜、一本のメールが着信したのであった。何と、こちらのお店のお兄さんからで、浅草から上野に移転しましたとあり、新住所が記載されていた。先日、元の場所に新しいラーメン店が出来たという情報がネットであり、驚いた矢先である。でもその後移転した事が判り、胸を撫で下ろしたのであった。でも、どこ?となった所だけに、嬉しさひとしおなのであった。そんな訳で、今日は悩む事無く、上野駅へと向かう。

13歳の頃の僕は日曜日になると、お下がりのフィルムカメラを携え、夜も明け切らない上野駅に行き、電車や気動車を撮影するのが楽しみな少年であった。その昔は集団就職で、当時夢を持った少年が降り立つ駅でもあったりした。そんな方たちも、既に定年退職を迎えた平成の現代。出会いと別れの北の玄関駅、ああ上野駅である。歌にもある。「上野は俺らの心の駅だ」と。

そんな上野駅へ降り立ち、大通りを浅草へ向かうと、すぐ右側にこちらの看板が、比較的新しい雑居ビルの一階にあった。店内は正午過ぎもあって盛況。入るとすぐ気が付いて頂きご挨拶。ちらっとメニューを見てから、チャーシュー麺800円をお願いする。ランチタイム時は半ライスか煮玉子の嬉しいサービスがあり、煮玉子にして貰う。移転の経緯をお聞きすると、場所がこちらのお店にとって良くなく、流行らなかったそうで、幸いかなり好立地のこの場所を見つけ、5/26にリオープンしたらしい。程なく到着。

う〜ん、これはやつぱり、旨い旨い旨い。今思えば浅草のお店は、高級割烹の店内の雰囲気があって、どこか大衆的要素が無かったが、このいかにもの大衆的雰囲気が、このラーメンにはとても合っていて、その美味しさを倍加させていた。

生姜がぴりっと来るまで感じる嬉しい醤油スープである。麺箱には浅草開化楼の文字が燦然と輝く旨い麺。チャーシューがもうやつぱり柔らかく程よい弾力感とその大きさ。気がつけば完食の感動的一杯を堪能したのであった。精算して外に出ると、夏色の空から厳しい陽射しが照りつけていた。上野駅も時代と共に変わって行く。

(2004.06.29)

※以下は台東区浅草2-11-7国際通り沿いの浅草時代。
浅草。それは生まれて最初に知った東京だった。千葉・市川で出生して、昭和40年前半に親に連れられて来た街である。印象は今とは随分違い、バラックが密集して汚い街という感じで、同じ時代にあった市川河川敷の京成鉄橋下にあった朝鮮部落とオーバーラップする。

最近、花やしきが会社更正法の申請をして時代を感じたが、根本的には昔から何度と無く訪れている東京で一番好きな街である。そんな浅草に浅草開化楼の麺を使用して、秋葉原にあったラーメン小林が店名を変え、昨年暮れに移転した。そろそろ落ち着いた頃だろうと足を向ける事にした。昨日は南国九州の街が雪にまみれている姿がTVに映し出されていたが、まるで信じられ無い位に東京は快晴。

浅草橋経由で都営浅草線浅草駅で下車。外に出ると日差しがまぶしい。浅草寺の赤くばかでかい提灯の前を通り過ぎ、新仲見世通りから国際通りに出る。ロック座の前を通りしばらく歩くと大きい白木看板に粋な大きさで店名があった。

入口横の垂れ幕に、「極上スープに秘伝のタレ」とあり、これではどこかのチェーン系の店先と変わらず、現代においてはマイナスイメージにしかならない感じ。店内に入ると真新しい一本のカウンタ。店内の芳香はラーメン小林のそれと変わらない良い香り。知っている方がおられ、「ここ、ラーメン小林ですよね?」と話しかけると、手厚い歓迎を受ける。

結構、秋葉原のお店を知る人が、日に一人以上は来られているらしい。やはり名店の域に入るお店である。つい最近までは夕方から営業していたそうだが、売上げが厳しいのもあって昼から始め、中休み無しで深夜の午前二時まで営業しているそうだ。

メニューを見ると、味噌ラーメンも始めた様だが、やっぱりこちらの王道の東京醤油が恋しくて来たので、それのチャーシューメンでお願いする。東京醤油の老舗のお店、来集軒もそう遠く無い所にあるそうで味も近いらしい。程なく到着。

湯(スープ)は、厨房が良くなった分、進化した感のある味わい深いもの。豚骨、豚足、鶏ガラに香味野菜をじっくり煮詰めたそうで、以前より生姜が引き下がる程に旨みが増した感がある。麺もこれぞ開化楼の中細ややちぢれ。特注で無いにせよ、イージーオーダー的に麺をスープに合わせて用意してくれるらしい。

ラードも何故かカウンタが綺麗な所で食べると、より洗練された様な気になるから不思議である。チャーシューも脂身が交じる分大変良い。大感動の内に気が付けば完食。これぞ無化調の東京醤油という一杯を堪能出来た。

挨拶をして外に出て、ふと振り返ると外に出て手を振ってくれていた。おじぎをする。おや?何か言っている。聞き耳を立てると、こう言っていた。「お客さん、おカネェー」 ・・・・・・……。お金を払うのを忘れていたのであった。

(2004.01.23)