喜劇らーめん食べ歩きの世界


総武線電車が江戸川を渡る頃、背中で大きい花火が炸裂する音が響き渡る。

今日は市川の花火大会の日で、大玉が潔く夜空で大きな光りを放っていた。

近くの若いカップルの方が、梅雨が明けた事を話していた。

(泰園/2003.08.02)


「オレは、ここの中華そばじゃないと駄目なんだよ」

 … 随分前だが、会社の先輩について行き、何度かここで、御馳走になった記憶がある。

その方が口にした言葉である。その先輩も定年退職で会社を離れて行った。

勿論、何人もの秋葉原の一時代を築いた先輩方はかなりいなくなってしまった。

(中華松楽/2003.10.10)


しばらく前だが自宅で何気なくTVを見ていると、その昔にお天気お姉さんをやっていたというお婆さんが出演されていた。

TV局が出来てまもない頃の方だったろう。

現在に較べ、その頃の天気予報はまず、殆ど当たらなかったそうで、家の近くの子供らに、

「嘘つきお姉さん!」とか言われてしまった経験を面白おかしくご説明されていた。

仕事でやっていただけなのに、辛かった事であろう。

時に、モラルという言葉は罪の無い人まで苦しめる事がある。

(あ。うん秋葉原店/2003.10.18)


市川市の京成線鬼越駅近くから、今は実家と呼ぶ家に引っ越したのは自分が小学校一年生になって程無い時分だった。

現在の柏市南逆井周辺は当時、宅地造成が真っ盛りで山林や田園にブルドーザーが入り、

新しい街が出来て行くさまを、見ながら育ったものである。

(闘魂ラーメン/2003.10.22)


このラーメンもそれに加えて欲しいと願う常連さんがきっとたくさんおられると思う位に旨いものであった。

燃える、店主の花道に、器の中と、同じ、大きな、大輪の花が、咲きました。

さぁ、歌ってもらいましょう。玉置宏でございます。

(闘魂ラーメン/2003.12.19)


今日はクリスマス・イブ。闇夜ではツリーの合い間に、小さい電球の光りがまたたき、

街角ではサンタに変装してチラシを配る人が汗を流し、それぞれのクリスマス・イブが、街の灯かりの数だけ繰り広げられる。

その街の上をトナカイのソリに乗ったサンタクロースが、星のあいだを駆け抜ける。

(めん屋そら/2003.12.24)


でも、「券売機、不注意一秒、別味一食」である。

(あ。うん秋葉原店/2004.01.31)


なお釧路製麺は釧路には無いらしい。釧路というと24年前、釧路駅で普通寝台夜行「からまつ」への乗り換え

待ち時間が随分あったので、改札を出て釧路の街へ出たが、何をしていたかと言えば、

吹雪で非常に寒かったので外におられず、ゲームセンターがあったので、

ギャラクシアンあたりをひたすらやっていた記憶しかなかったりする。そういう訳で釧路と言えばゲーセンである。

(活力屋/2004.03.07)


「常連かぁ」と思いつつ、「ローハイド」のリズムで、「常連、常連、常連♪」と歌いつつ、賑やかな、本八幡の夜の帳へ

紛れて行く。 嘘

(八幡かっぱ/2004.04.13)


清算して外に出ると、霧雨からまた小雨になり、傘を指す人の数が増えていた。時には、指したくても、傘が指せない人も、

いるのかも知れない。比喩である。

(泰園/2004.05.16)


両国駅に向かうと、中学生の下校とぶつかり、歩道が賑わっていた。ふと、向こうから、

私立中学校の受験を受ける子供の頃の自分が、母親に連れられ校舎に消えて行った。

記憶が甦る一瞬とは、そうした表現しか出来ない。あれから三十年の時を越えた同じ道を両国駅へ向かう。

(両国大勝軒/2004.05.19)


四歳の頃、市川市の小さな町の生活が思い出される。

ある時母親に、ジュースが飲みたいとせがんで、出て来たのは水に砂糖を溶かし込んだ砂糖水だったのも、

今では本当に良い思い出である。

そこそこの庭もあり、今思えば、高度成長期の平均的な暮らしだったのかも知れない。

(上海亭/2004.06.14)


国道まで歩き戻り、付近の漁港を散策して時間を潰す。青い空と海。風が波を作る。

時間が止まった様なひとときが流れる。子供の頃父親の夜釣りに付き合い、

よく車の助手席に座り、出掛けたのが内房で、黒鯛が目当てなのにゴンズイばっかりだったのも、今ではいい思い出である。

(梅乃家/2004.07.14)


ラーメン屋〜♪苛酷な〜稼業と、言うけれどっ♪ って全くその通りで、真夏に火鉢にあたりながら仕事を

しているのと同じで、本当に大変だと思う。

(活力屋/2004.07.15)


爽やかな真夏の空が、エンタテイメントのショーでも見るかの様な、清々しい日曜日の朝。

20代の頃四国地方へ、鈍行列車で大阪まで行き、夜行急行で宇高連絡船に乗換え、

高松から乗った各駅停車から見た、清々しい真夏の夜明けの記憶がよみがえる。

(活力屋/2004.08.01)


どんなに良いお店でも、行く度に必ず100%のラーメンには出会えないし、何しろ自分が100%の人間では無いと言える。

100%の人間って何?と聞かれても困ったりするが、そんな中で指数に、何の意味があるのかと思う。

逆に自分で作ったそれに縛られている場合もあったりする。

(泰園/2004.08.26)


陽がとっぷりと、暮れてから外に出掛ける。すると、秋の虫が涼やかに合唱していた。

京成バスで松戸駅へ向かう。暗闇の道路にバスの前照灯が照らされ、対向車もまばらの時間帯。

前を走る乗用車のブレーキランプで車内がほのかに紅くなる。

(大黒屋本舗/2004.08.30)


現代的なラーメンと言うと、やはり背脂や香味油など、油を多用した場合が目立つと言える。

アブラカダブラ、昔アラブの偉い某サンバ♪コンガマラカス、コーヒールンバ♪である(なんじゃそりゃ)。

(活力屋/2004.09.18)


少ない列だったが、盛りが半端で無いお店らしくしばらく待つ。人が一人出ると一人入って行く。神田川沿いのそんな列。

また一人出て来た。 あなたは、もう♪ 食べたのかしら♪である。

(べんてん/2004.10.20)


引き入れて下さった店主にご挨拶する。「あ、ゼータガンダムさんですね?」

・・・・・・今さら、アムロ行きます〜、でも無かった(それは初代)。CDが数枚入った紙袋を頂く。

店頭にインフォがあった、秋冬限定のとりぶたさかなだし醤油らぁめん800円をお願いする。

何とチャーシューは豚ばら鶏ももが合体しているらしい。合体。店主もきっと、好きに違いない(おいおい)。

(小櫻/2004.11.03)


精算して外に出ると、降り続けている雨と芯から冷えた寒空。バス通りに出る。そう言えば十代の頃、

自転車で、まだこの道がこんなに整備されていない頃、何度か来たのを思い出した。

いや、正確に言うと、この道では無いかも知れない。でも、馬橋に出る道。時代を映す道路。

時代を残す飲食店。駅に戻るバスがやって来た。

(こまどり/2005.02.16)


精算を済ませ外に出ると、霧雨が本八幡の夜にむせていた。

11歳の頃本八幡駅を見て、またこんな風にして同じ駅を見ているのも面白いものだと、改めて思った夜だった。

ふと、幼い頃見ていたTVドラマ「泣いてたまるか」の主題歌を鼻歌で口ずさんでいた。 

空が泣いたら、雨になる♪・・・・・・

(八幡かっぱ/2005.02.20)


雪は降る〜♪アキバは都内〜♪、と言う訳で、三月に入ったのに降雪である。

それでも正午頃になると、勢いはおさまって来て、小降りとなって来た。

(めん屋そら/2005.03.04)


空は、雲一つ無く澄み切って、 柔らかな陽射しは、春の如く。 風は大木のてっぺんの、木の葉だけを微かに揺らす。 

そして海は、 ・・・・・・ 松戸には無い。 ま、とにかく爽やかな日である。

(大黒屋本舗/2005.03.07)


そして記憶は、ススキの野原を駆け巡り、白銀の山々を望み、アスファルト上の桜の花びらを散らせ、

炎天下の国道脇の小川のせせらぎを響かせる。誰ひとり、同一と言う事は無い、記憶の放物線。

一雨毎に、春の桜前線が近付いている。

(泰園/2005.03.17)


人は、どうでもよい事から、どうしようもない事まで、引きずって歩いている。

(ラーメン松楽/2005.03.21)


気がつけば完食だった。思わずお金を払いたくなる試作品だった。「い、いらないですよ」との事。 

助かった。

(活力屋/2005.04.11)


外に出ると、寒の戻りで凍えた曇り空は、今にも雨が振り出しそうな、春の不安定な天空を物語っていた。

そして夕方頃には、静かな雨音が、路面を濡らしていた。

それはまるで、忘却が再燃された、一匹の鼠の心模様を、映していたのかも知れない様だった。

村上春樹処女作「風の歌を聴け」を、擦り切れるまで読み返した日々が懐かしい。

勤務地としての秋葉原よ、さようなら。

(あ。うん秋葉原店/2005.04.12)


「どうぞ」と引き戸を開けてくれると、それに指をどうやら挟んだ様で、「ぐぎゃおえ」の後で、絶叫。 

「だ、だ、大丈夫ですか?」 「な、なんとか・・・」 と言う事で大丈夫らしい(おいおい)。

(竈の番人/2005.06.05)


闇夜を照らす閃光の 一夜怯える蝉のしじま ― 。 深夜に及んだ雷鳴も、朝には落ち着いていて、

いつもの様に蝉の鳴き声が喧噪する真夏の大空。ふと見ると、塩辛トンボが宙を舞っていた。

(大黒屋本舗/2005.08.13)


最近は家族連れが増えて、会社の慰安旅行が激減して、来店客も減ってしまったらしい。

ラーメン店主のぼやきにも、日本の今が映っているのかも知れない。

(中央亭/2005.08.14)


深川と言えば、松尾芭蕉。  中華そば  その地で築く  街の味 

(谷やんラーメン/2005.09.10)

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